「ヨシュアは汚れた服を着て、主の使いに立っていた。」ゼカリヤ書 3章3節
難しい幻の箇所です。
神の審判の前に立っているのは大祭司ヨシュアです。イスラエルの民の代表でしょう。
サタンが訴えようとしています。
汚れた服を着ていることを責めようというのです。罪深い私を責めるのです。
しかし、神さまが弁護してくださいます。
汚れは、罪がきよめられた跡なのです。
捕囚から解放されたばかりで汚れているのだとも理解できます。
すなわち、私たちの罪を主が赦してくださったことを示しているのが服に残る汚れなのです。
赦された証しだとも言えます。
そしてその汚れも、神さまによって完全に奇麗にされます。
頭にはターバンをかぶらせて、主の祭司であることをあらためて示されます。
そして主によって着替えさせられるのです。
もう罪人ではなく、罪が赦された神の子どもです。
サタンが信仰者を責めようと待ちかまえます。
誰かが信仰者を責めようとします。
自分で自分の罪が赦されていることを疑い、責めるかも知れません。
しかし、すべてを主が取り除いてくださいます。
私の罪は、私にはきよくできません。しかし、主には完全に赦すことができます。
そしてきよくしてくださり、それを明らかにしてくださるのです。
何も恐れることなく、主の前に進み出ましょう。主がよくしてくださいます。
シャローム