「こう言うのは、このようなことをして不正をおこなう者すべてを、あなたの神、主が忌み嫌われるからである。」申命記 25章16節

1節から、人と人との間で争いがあったとき、また、やもめとなった女性に対してどのように接していくのか、商取引において不正をおこなうことなどを禁じることを告げます。
不思議な禁令もありますが、具体的に示される律法は、その根底に主が義の方だということがあります。
主は、不正を憎まれ、不正をおこなう者を忌み嫌われるのです。
それも「すべて」の者だと表現します。
徹底的にイスラエルの子らの間から不正を排除せよと言う表現です。
また、嫌うだけでなく「忌み嫌う」と言います。
主が不正をおこなう者を徹底的に取り除こうとする表現です。

義の神は愛の神でもあります。
けれども、それは不正をいい加減にしてしまう甘さとは別のものです。
愛ゆえの義は、不正を忌み嫌うのです。
ですから私たちも不正を忌み嫌うべきです。
私たちは隠れて不正をおこなうような者ではなく、義と愛を追い求める者になっていきたいものです。

シャローム