「目覚めよ、目覚めよ。 力をまとえ、シオンよ。 あなたの美しい衣をまとえ、 聖なる都エルサレムよ。 無割礼の汚れた者は、 もう二度とあなたの中には入っては来ない。」イザヤ書 52章1節

「目覚めよ」との、主の語り掛けがイスラエル人にあります。
罪に沈み、神を礼拝することを忘れてしまった人々、眠っているような人々への語り掛けです。
2度繰り返して、強く命じます。
そこには、主の強い愛情があります。
さばきを受けて、バビロンに捕囚となっているイスラエル人への語り掛けですから、そこには主の深い愛があります。
主は、さばきを与えましたが、見捨ててしまったわけではないのです。
さばきの後の回復をも備えていてくださったのです。

力をまとえ、美しい衣をまとえと、語り掛けます。
本来ならば、戦いのための備をせよという命令でしょう。しかし、ここでは主の前に進み出るふさわしい者となっていくように、身を整えよとの命令でしょう。
主が、あわれんでくださったので、もう、イスラエルを苦しめる者たちが、都エルサレムに侵入することはないのです。

ですから、主は語ります。
11節では「去れ、去れ」と、繰り返します。
1節の「目覚めよ、目覚めよ」と、対になったことばです。
捕囚の地を離れること。そしてもっと大切なことは、罪を離れ、罪の世界を去って、目を覚まして主を見上げて生きるようにとの、命令です。
見るべきは主、主のことば。
去るのは、罪の世界。
そして主に愛されている証となる美しい衣をまとって、毎日を歩むのです。

新しい朝です。あなたは目覚めていますか。見るべきを見ていますか。
シャローム