「しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みによって召してくださった神が、」ガラテヤ人への手紙 1章15節
パウロが記したガラテヤの教会に宛てた手紙です。
パウロは、自分がキリストの教会を迫害した、それも激しく迫害をしたことを告白します。
その上で、キリストが啓示してくれた福音を信じて、使徒となり福音を伝える働きに仕えているのだと、告白します。
それは自分が学び、選び取ったものではなく、人に教えられ、勧められた働きでもないと強調します。
神が、自分を迫害者となるもっと以前から、母の胎にあるときから、迫害者ではなく使徒として召してくださったと、知ったからだと告白します。
神が恵みによって召してくださったので、パウロは、自分の名誉や自分を楽しませるために福音を伝えたりしません。
しかし、偽教師は、自分の名誉のために福音を変質させて語ります。自分を喜ばせるために力を注ぐのです。
仕えている主人が違っているのです。伝えていることばが違うのです。
神は、パウロが迫害者であったときも、召しを変えず、取り去らずに、忍耐と恵みの導きによって見ておられました。
パウロはそれを知ったので、こうして迫害者であったことも告白してなお、堂々と確信を持って使徒としてキリストの福音を語るのです。
自分の召しを知ることは、自分がキリストに愛されていることを知ることであり、自分の価値を知ることです。
そして、召しに答えて変わることのない使命に生きるようになれます。
すべては神の恵みによって始まっていたのです。
シャローム