「第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。」ヨハネの黙示録 4章7節

4節に登場するのは「24人の長老」です。この人たちは人間の代表なのでしょう。
その24の長老がその座から目撃するのが四つの生き物です。
8節を読むと、絶え間なく「聖なる、聖なる、聖なる」と、神のきよさを賛美し続けています。

何故、生き物は四つなのか。
それぞれに六つの翼を持ち、周りと内側に目で満ちているのは同じなのに、四つの生き物には特徴があるのか。
まったく説明はなく、説き明かしもありません。

たとえば、獅子は、ユダ部族の獅子を現している、力の象徴かも知れません。
雄牛は、神殿で献げるいけにえを現してのかも知れません。
人間は、十字架でいけにえとなってくださった人の子のことかも知れません。
鷲は「翼のある」とわざわざ言われますから、空、天の御国を現しているのかも知れません。
終末の日を迎え、新しい天と地が造られた時には、主イエスを救い主と信じる私たちは、このような想像を超えた景色、存在を目撃し、ともに生きるようになるのでしょう。

終末の日に見る景色、その様子、私たちには分からない。
「分からない」ことが起きることを認めるのが、今、すべきことです。
そしてそのすべては私たちにとって良いものであり祝福に満ちたものであること。
この四つの生き物も私にとって恵みなのだということ。
そのことを信じて期待をして地上での信仰生活を送るのです。

分からないことがあるから信仰生活は豊かで期待に満ちていると思います。

シャローム