「アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。」サムエル記 第2 17章14節 (2017新改訳)
ダビデを追い、打つためにアブサロムは助言を求めます。
アヒトフェルは、すぐれた助言をしましたが、アブサロムは、フシャイにも助言を求めました。
フシャイは、ダビデを助けるためにアブサロムの元に留まっている人でした。
アブサロムとダビデを打ちたい人々には、フシャイの助言の方が、理にかなっており確実であると、思えました。
しかしそこには背後に主のご計画と助けがあったのです。
主は、アヒトフェルのすぐれた助言を打ち破って、ダビデを助けることを決めておられたのです。
それは人々には、全く分かりません。
アブサロムとアヒトフェルは、ダビデを打つことを目的として、すべてのことを進めてきました。この時もそうなのです。
フシャイは、ダビデを助けようと、力を尽くしました。ただそれだけです。
しかし、ここに至るまでの日々で、主の前に歩む姿が、ダビデと謀反を起こしたアブサロムでは、全く違うのです。
ダビデは罪と犯した時、それに気がつくと、即座に全面的にひれ伏し、悔い改めました。
アブサロムは、言い訳をするばかりで悔い改めることをしないで、自分の欲望を満たすことだけ続けています。
この主の前の姿が、この後の現実の結果に結びつきます。
ダビデの助けは、フシャイから来るのではなく、主から来ます。
主が、フシャイを用い、アヒトフェルさえ、その助言を打ち砕くことで用いるのです。
主が、み心のままに助けを与え、時を定めておられるのです。
主のみ心と御業を見ることは簡単ではありません。でも恐れる必要はありません。
日々主の前に真摯に歩むなら、見えない主の御手に委ねて安心して過ごすことができるのです。
シャローム