「わたしはおまえたちを剣に渡す。 それで、おまえたちはみな、虐殺されて倒れる。 わたしが呼んでも答えず、 わたしが語りかけても聞かず、 わたしの目に悪であることを行い、 わたしが喜ばないことを喜んだからだ。」」イザヤ書 65章12節

64章までが預言者の祈りでした。ここ65章からは主の答えです。
残念ながら、そこには厳しいさばきのことばが続きます。
12節は、さばきの預言、予告です。
繰り返しの表現をさらに2度用いて、逃れられない厳しいさばきがあることを示します。
奇麗な表現があります。その分、深く厳しいことばなのだと思います。

剣に渡すとは、周辺国に攻め込まれて滅びることを示します。
偶像を崇めて好き勝手に歩んできた者たちは、主の手によって他国の兵士に渡されて、虐殺という恐ろしい結果に至るのです。

何故、そのような恐ろしい目に遭うのか。
それは、主が「呼んでも答えず、語りかけても聞かなかった」からです。
ここで繰り返しの表現で、主がユダヤの民を愛して、繰り返し呼びかけ、語りかけても、聞こうとしないで答えなかった民の罪を暴くのです。
それは民が「わたしの目に悪であることを行い、 わたしが喜ばないことを喜んだから」なのです。
ここでは悪を行いと、初めに告げ、次に喜ばないことをしたと、繰り返します。
さらに、喜ばないことを喜んだと、民の罪の深さを二重の表現で示します。
繰り返しが重なるように表現で、その罪の深さ大きさを示すのです。

それはこれまで、どれほど主が、民を愛して繰り返し繰り返し呼びかけ、語りかけてきたのかを示します。
さばきのことばですが、主の愛の深さが分かることばでもあります。
こんなにも愛されている私たちです。
主の呼びかけ、語りかけに、いつでも素直に答えられる者でいたいと強く思う朝です。
シャローム