「イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」 ヨハネの福音書 19章30節
不当な裁判の席でもイエスさまは弁明の一言も発することなく、すべてを受け取られました。
十字架の上でも、母マリアと弟子のヨハネに、新しいイエスさまを頭とした教会の神の家族の姿を示されて、静かに十字架の苦しみをすべて受け止められました。
そして最後に「完了した」と、私たちの罪を身代わりに背負い、罪を贖う業が完了したことを宣言されました。
それはイエスさまが望まれたことであり、ご自分から進んで受けられた苦しみでした。
そしてもちろん、サタンの攻撃やピラトに敗北した「死」ではありません。
イエスさまが、ご自分から望まれた贖いの業であり、その結果の十字架の死です。
霊をお渡しになったイエスさまを天の父は見守られて、その業を祝福されたのです。
私たちは、このようにイエスさまがご自分から望んで進まれた十字架の死、その完全な業によって罪が赦される道が完成したのです。
完了したとは、もう、この後、なにも必要なく、足りないものがないばかりか、この贖いの業が既に完成していることを示します。
私たちは今、この完全な恵みの中にいます。
そしてこの日曜日から、今年のアドヴェントが始まりました。
十字架の死に向かうために、イエスさまが生まれてくださったクリスマス、その日を待ち望む季節となりました。
心から賛美を献げて礼拝をしましょう。
シャローム