「かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。」ピリピ人への手紙 1章30節

ここで言う苦闘とは、福音を伝える働きを進めるときに伴う困難や普通の生活の中で起きてくる障害だけでは終わりません。
パウロが経験してきた苦闘は、激しい迫害であり、投獄や死を覚悟させるほどのものです。
例えではなく、本当に嵐の海を船で進むこともあり、常に危険が近くにあったのです。
そしてそれは過去の一つの出来事ではなく、今も続いている苦闘です。

しかし、迫害や危険な旅路の結果として命を落としたとしても、パウロは「死ぬことは益です」と言い切ります。
無実の罪、濡れ衣で投獄されていても、パウロの留守を狙って自分の名誉のために福音を語る人が現われたとしても、その結果、福音が広く伝えられるならばそれは喜びに繋がるとまで言います。

これがパウロの生き方であり毎日です。

パウロを思い、パウロのために祈る人は、パウロの苦闘を一緒に経験している人なのだと言います。
そしてパウロの喜び、イエス様が天において喜ばれることまでも、その人は共に経験しているのだと言います。

大切な人のために祈ることは、その人の苦闘を共に経験して分かち合うことであり、喜びも分かち合うことなのです。
ですから、私たちはどこに居ても信仰の友人、神の家族のために祈ることで、その人を力づけ励ますことができているのです。
大切な人のことを聞いて、見て、祈ることは、時と場所を越えてその人を励まします。そして、私たちを一つにしてくれます。

シャローム