「隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。」申命記 23章25節

ルカの福音書の6章には、麦畑で穂を摘んで食べていたイエス様の弟子を、非難するパリサイ人の様子が記されています。
しかし、この律法に隣人の麦畑の麦の穂を摘んで食べて良いと記されています。
これは主の恵みとあわれみを示す律法です。
一つ前には「思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べて良い」とあります。これも隣人のぶどう畑のことです。
隣人の畑から、受け取り食べrことで主が惜しみなく与えてくださった恵みを経験するのです。
もちろんここには「かごに入れてはいけない」「鎌を使ってはいけない」とあります。
隣人の労苦の実をかすめ取るのは許されないのです。
しかし、空腹を満たすときには、惜しみなく与えることが命じられているのです。
パリサイ人は、律法を文字に表れたことしか守ろうとしません。そこにある主の愛、あわれみ、恵みを知らないのです。
いえ、知ろうとしなかったのです。

しかし、ここ申命記にははっきりと主のあわれみが深いこと、恵みを惜しみなく与えてくださることが示されているのです。
私たちは、これこそ受け取るべきものです。

主が、私に惜しみなく恵みを与えてくださったと信じる人は、惜しみなく与えます。
そこには、主の愛とあわれみがあることを知る人は、隣人にも愛とあわれみの心と行動を取るのです。

主を信じる人は満ち足りるのです。

シャローム