「彼らは叫んだ。「除け、除け、十字架につけろ。」ピラトは言った。「おまえたちの王を私が十字架につけるのか。」祭司長たちは答えた。「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」」 ヨハネの福音書 19章15節
ピラトは、イエスさまに何の罪も見いだすことができず、罰を与えたくはないと考えたので、ユダヤ人たちの手にイエスさまを返そうとします。
しかし、ユダヤ人たちは祭司長たちを中心にして、大声でそれを拒みます。
しかも、自分たちの間から取り除いて、死刑、殺すことを求めるのです。
サムエル記の時代、周辺の諸国のように王を求めて、祭司を取り除き、主を拒んでサウル王が誕生していった時を思い起こさせます。
人々は自分たちの思い通りにならない王、救い主は欲しくないのです。
欲しくないどころか、取り除いてしまいたいのです。
そのためには、自分たちを苦しめているはずの支配者であるカエサルさえも崇めようというのです。
罪の心と行動が強く出ていると感じます。
しかし、こうして強く「除け、除け」と、叫ぶほど、この方、イエスさまが実は必要な方なのだと、告白しているようなものです。
自分が王になりたい、自分が自分の中心にいて、神を除きたいという、罪人の思いが現れています。
「除け、除け」と、叫ぶのか「主よ。早く来てください」と、叫ぶのか。
主は、私が声を上げるのを待っていてくださる。
王の王。救い主、私の主、イエス・キリスト。この方を求め、いつも近くにいたいと思います。
シャローム