「彼らは聖徒たちや 預言者たちの血を流しましたが, あなたは彼らに血を飲ませられました。 彼らにはそれがふさわしいからです。」ヨハネの黙示録 16章6節 (2017新改訳)

2節に第一の御使い、そして3節に第二の御使い、4節には第三の御使いのおこなうさばきが次々と記されます。
15章までと比べると,次々に記されていることから、さばきも間を置かないで次々に起きたのでしょう。
神のさばきがいよいよ厳しさを増し,最後の時に近づいていることを示すのだと、考えられます。

ここには、このさばきがふさわしいものだと,訴えている声があります。
6章10節で、殉教した者たちの叫び声がありました。
主にふさわしいさばきを求める叫び声でした。
16章のさばきは、この殉教者たちの叫び声に答えた主のさばきです。
いいえ。
主のさばきは必ずこのように,ふさわしくあるのですから、信仰者は叫ばなくてもいいのです。

復讐をするのは神のわざです。
それは神を愛する人の血を流した者たちへの、ふさわしいさばきなのです。
神は、あらかじめそのような恐ろしいさばきを避けるようにと、悔い改めて神を信じて生きるように,道を示しておられたのです。

永遠に続く新しい都での幸いな生活が約束され、ふさわしいさばきがあることも示された上で、イエス様は,私たちの罪を贖ってくださり、ふさわしいさばきではなく。
恵みの救い,約束を与えてくださるために,神自身の命を犠牲にしてくださったのです。
本来ならば,罪人にふさわしいのはさばきです。しかし今は,罪を悔い改めた罪人には,恵みの約束が与えられています。
何が彼らにふさわしく。
何が私にふさわしいのか。
神の愛がそれを決め,神の愛を信じた人がそれを受け取ります。
ふさわしくないはずの私が,ふさわしい者として,今,神の愛と恵みの中にいることを確認することができることばがここにもありました。
シャローム