「その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を汚してはならない。」申命記 21章23節

ガラテヤ人の手紙、3章13節には「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」と、この申命記のことばを引用して教えています。
主が与えてくださった相続地であり、恵みの土地であるカナンの地、エルサレムでイエスが十字架で処刑されたのは、ご自分からのろわれた者となって死に、そしてよみがえられることで、私たちを贖ってくださったのです。
私たちは、神に背いて生きる罪人であり、律法の定めからはのろわれた者だったのです。
旧約聖書の時代から、それは定めらていました。
私が知らないまま、認めてこなかっただけであって、罪人であり呪われて、滅びるはずの者だったのです。

しかし、主は、私が滅びるのを惜しみ、あわれみの心を注いでくださって、ご自分の命を犠牲にして、私を滅びから永遠のいのちへと移してくださったのです。

「残しておいてはならない」「必ず埋葬しなければならない」「汚してはならない」と繰り返されるほどにのろわれた存在だったのです。
しかし、主イエスを私の救い主と信じる者は、罪が赦されるのです。
この罪がのろいが、ただ、信じるだけで贖われるのです。
なんと凄い恵みでしょうか。

シャローム