「ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」 マタイの福音書 5章48節

とても、とても難しいと思う、いいえ、それは無理ですと答えるしかない主のことばです。
厳しい命令、教えだと感じます。
けれども旧約聖書のレビ記にも申命記にも同じことが示されているのです。
旧約聖書だけではなく、新約聖書の他の箇所も合わせて読んでみると、分かることがあります。
主イエスは、私たちに「完璧で完全」な人になれと命じているのではありません。
しかし、命じているのも確かです。
イエス様の弟子だからこそ、この教え、ことばは聞かなければなりません。

では、何をどう完全であれと、主は命じるのでしょう。
主は、主が聖であるから、私たちにも「聖」であれと命じます。
主のきよさに倣い、近づけと命じます。
できないと、言ってはいけないのです。

主があわれみ深いかただから、私たちにも「あわれみ深く」あることを命じます。
これも主イエスに倣い、近づくのです。

私には「できません」と、言ってはいけないし、言わなくて良いのです。
主が完全な方だからです。
主を見上げ、主に倣い、主に近づくのです。

このことばを聞く時、この5章は「山上の説教」と呼ばれるイエス様の教えで始まっています。
あの時、山に登られたイエス様の所へ、弟子たちの方から近づいて行って、お話を聞いたのです。聞こうと近づいたのです。
ならば、同じように、完全であろうと、イエス様にちかづいて、イエス様の声を聞くことから始めれば良いのです。
きよさも、あわれみ深さも、主のものです。近づいて、さらに近づいて倣っていきましょう。
主が完成させてくださいます。

シャローム