「彼らの顔を恥で満たしてください。 主よ 彼らが御名を探し回りますように。」詩篇 83篇16節

「沈黙しないでください」「黙っていないでください」「黙り続けないでください」と、83篇は主の救いを求める声で始まります。
切迫した祈りです。緊迫した願いです。
それもそのはずです。敵があらゆることで、詩人を苦しめているのです。
敵は、主のことさえも嘲り、悪を企んでいるのです。

詩人は、切迫した祈りを持って、敵が滅ぼし尽くされるように祈るのです。
現代においては、敵が滅ぶことを祈り求めると言うのはほとんど聞かれないでしょう。
では、詩篇の詩人は残酷な心で敵を憎み、その滅びを求めているのでしょうか。

そうではありません。
敵が、詩人と主を信じる人たちを徹底的に滅ぼそうとしているので、その報いを彼らにふさわしく返してくださいと言う思いなのです。

詩人の真の願いはこの16節です。
まず、主を嘲っていた人たちが、主の全能の力の前に、自分たちの無力さを知り、恥じ入ることを求めます。
しかしそれが目的ではありません。

敵が、苦しめる人たちが、変えられて、主を求める人になることなのです。
詩人が望むのは、敵が滅び去ることではありません。
敵が悔い改めて、神に仕える人になることなのです。
敵を滅ぼすのではなく、敵が敵ではなくなり、友となり、同じ主に仕えるようになることです。

詩人を苦しめる敵も、詩人には敵ではなく隣人なのです。
救いを求める祈りは、隣人を獲得する愛と宣教の祈りなのです。

私が主に期待して主に仕える時、敵対する人さえも主を求めて、主に仕えるようになることを覚えたい。
シャローム