「では、どうなのでしょう。私たちにすぐれているところはあるのでしょうか。全くありません。私たちが既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も、すべてが罪の下にあるからです。」ローマ人への手紙 3章9節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ローマ人への手紙です。
著者は使徒パウロです。1章1節で、自らパウロからと、名乗ってからこの手紙を書き始めています。
手紙を書いたのは、コリントの町です。その時、パウロはガイオと一緒にいました。
ローマにも既にキリストの教会が建て上がっていると聞いたパウロは、ローマをj訪問したいと願いますが、なかなか実現しません。
パウロは、その生れたローマの教会を神学的に体系的に教え導きたいと願って、この手紙を書いたようです。
ローマのキリスト者は、エルサレムに行き、そこで信仰を持った人たちと、パウロから福音を聞いて信仰を持った人たちが、ローマに帰り、或いは移住して、教会を建てたようです。
ですから、パウロはこの時にはまだ実際にローマに行ったことはありませんでしたが、知人は少なからずいたようです。
この手紙は、イエス・キリストの福音とは何であるのかを、しっかりと体系的に学ぶことができる内容となっています。
そのためか、かなり堅い内容の手紙だと言えるでしょう。
現代で言う、通信教育の高等教育、キリスト教育神学版とでも言った感じでしょうか。
信仰ギニンについて、明確に示します。
また、この世界のあらゆるところ、自然を通しても、唯一の神、主である創造主を私たちは知ることができると、示します。
しかし私たちはそれを認めません。
それがこの3章9節にあることに、集約されるのです。
私たちは誰でも、すべての人は罪人です。
すぐれたところがないとは、優秀な技術や能力がないと言うことではありません。
私は罪がなく、義であると訴えることは、誰もできないと言うことです。
罪の下に生れ、罪の下に生き、イエス・キリストを救い主と信じて、初めてその罪から解放されるのです。
そこにもまた、誰かと比較して優れているから、罪が赦されて救われると言うことはありません。
すべての人が公平に、ただ信じるだけなのです。
罪の下にあることを認めることができるのが大切です。
しかしそれを認めて告白するのは、聖霊なる神さまの助けがなければ実現しません。
罪人は、罪を認めないからです。
シャローム