「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」 ヘブルへの手紙 2章18節
私たちの罪が赦されて救われることができるのは、すべて御子であるイエスが、私の罪を身代わりとなって贖ってくださったからです。
ここ2章ではそれをもう一度、明確に示してくれます。私たちが迷ったりすることがないように救いの業を示してくれるのです。
イエス様は、罪人である私たちを救うためにすべての点で私たちと同じになりました。
もちろん、イエス様は罪を犯すことがないと言う点は揺るぎません。
苦しみも、地上での生涯を終えて一度死ぬと言うことにおいても、同じ経験をされました。
そして私たちが経験するすべての苦しみも、同じように経験してくださったのです。
ですから私たちの苦しみ、悲しみも、イエス様はすべて知っていてくださいます。
ですから私たちは安心してすべてをイエス様に委ねることができるのです。
イエス様の身代わりの死と復活の業は、すべて私のためにしてくださったことです。
イエス様は、天の御国の高いところから私を救ってくださるのではなく。
私と同じところにまで降りてきてくださり、私と同じ苦しみを経験してくださった上で、私を救ってくださるのです。
泥沼に沈んでいた私を、イエス様は苦しんで泥沼の下から押し上げてくださるようなものです。その上で、きよい水を掛けてくださって私の罪を洗い流してくださっているのです。
私の苦しみ、悲しみの中でイエス様に知られていないものは何一つありません。
ですから安心して私はイエス様に委ねることができるのです。
シャローム