おはようございます。
明日、3日は早朝から出張しますので、2日分を書かせていただきます。今月は、出張が続きますので、配信が変則的になるかも知れません。
よろしくお願いします。
榊原康成
「私たちが御父の命令にしたがって歩むこと、それが愛です。あなたがたが初めから聞いているように、愛のうちを歩むこと、それが命令です。」ヨハネの手紙 第2 6節 (2017新改訳)
短い、1章で13節だけの手紙です。
その第一声は「愛しています」です。1節には二度も愛していますと記しています。
神に愛されて信仰が与えられ、私の信仰が始まり、同時に愛することが始まったのです。
「御父」を「イエス・キリスト」と、訳す別訳もあります。
いずれにせよ、神が私たちイエス・キリストを信じた者に、命じることは初めから愛することです。
何故なら、私たちが滅びの子どもではなく、イエス様に愛された者であり神の子どもとされた者だからです。
そして信仰者が、日々の生活の中で、互いに愛しあうことが、聖書の命じる命令です。
イエス様に愛された者同士は、互いに愛しあうのです。
愛の現れない、愛しあうことのないところには、信仰はありません。
初めから、信仰者は愛することを求められており、愛することができるように、イエス様が助け導いていてくださるのですから。
愛しあう信仰者、神の家族の間には、キリストがとどまり、真理がとどまっています。
愛のないところに、救い主キリストへの信仰はありません。
反対に、愛するところに信仰はあるのです。
キリスト・イエスを信じて歩むことは、愛することです。
神と隣人を愛するところにこそ、聖書を信じる人の生き方が現れています。
信仰を確信しているのかどうかは、愛しているのかどうかに現れてきます。
シャローム
3日(土)
「私たちはこのような人々を受け入れるべきです。そうすれば、私たちは真理のために働く同労者となれます。」ヨハネの手紙 第3 8節 (2017新改訳)
これもまた短い手紙です。そして第2の手紙と同じように愛すると言う言葉で始まります。
いえ、愛しているから手紙を書いているのです。
手紙を受け取ったガイオは、キリストに愛と福音を伝えるために各地を巡っている伝道者を受け入れてもてなした人です。
ヨハネは、そのような巡回する伝道者を受け入れることは愛することであり、信仰の発露であると語ります。
それは自分で各地を廻ってキリストの福音を伝えるていることと同じなのだと言うのです。
巡回して労する人と、その人を受け入れてもてなし、励まして次の地へと送り出す人は、互いに同労者なのです。
それは善を行うことだとも言います。
このように強調するのは、同労者であるはずの人を受け入れなかったり、受け入れる人を迫害するような、反キリストの行動を取る人がいたからです。
教会の中にさえ、キリストを愛さない人が入り込んでいいたのです。
私たちは、ガイオがしたように、実際にキリストのために働き労する人を愛して受け入れ、心を同じにして労する人となりたいのです。
キリストを信じることは、キリストを愛し、互いに愛し合い、犠牲を払っていくことです。
一人ひとり、今、遣わされている場所で労することがあります。
受け入れて愛する人がいるのです。
シャローム