「おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」サムエル記 第2 16章12節 (2017新改訳)
王宮から逃げ出したダビデの周りでは、実に様々なことが起きます。
ヨナタンの息子のメフィボシェテが、この機会に王座を狙っていると、メフィボシェテのしもべであるツィバは伝えます。3節
しかし、これはツィバが自分を売り込むために、主人のメフィボシェテを悪者に仕立てた虚言だと思われます。
また、サウルの家の一族にあたるシムイはダビデを呪うのです。
ダビデの臣下たちは怒り、シムイを打とうとしまうが、ダビデはそれを止めます。
このような事態を招き、呪いの言葉をかけられたのも、自分の身から出たこととの思いがダビデにはあります。
そしてこのような時にこそ、正しく振る舞うことが主に喜ばれ、主の助けが与えられるのだと、信じています。
人に呪われてもよいのです。(よくはないけれども、耐えられるのです)
しかし、主の呪われたならば、取り返しがききません。
そうなっては誰も執り成すことができません。
様々なことがダビデの周りで起き、ダビデを苦しめます。
しかし、主がダビデの味方であり、ダビデとともにいてくださるのであれば、それで充分なのです。
必ず、主は良いことをもって報いてくださるのです。
ただし、その時は主が定めた時であり、主がみ心のままに助け、恵みを与えてくださるのです。
私たちは、それを信じることができるか、信じて待てるのかが問われます。
ダビデはできるのです。ですから王宮を戦場にはしないで、逃げ出して、その時を待ったのです。
私たちも主が良いことで報いてくださると信じて待とう。苦しく悲しい時も待とう。
シャローム