「争い合うこの二人の者は主の前に、その時の祭司たちとさばき人たちの前に立たなければならない。」申命記 19章17節

19章は、最初に「逃れの町」についての規定が示されます。
過失で隣人を死なせてしまった場合に、被害者の関係者が加害者に対して殺意を持って報復することができないように、逃れの町を置くのです。
逃れの町は、その名前の通りに、そこへ逃げ込めば、祭司によって守られるのです。

そして、ここ17節では、もめ事が発生して言い争った時、その仲裁、解決のためには、さばき人だけではなく祭司が立ちます。
主の前に、調停がなされ解決が行われるのですが、見えない主の前に進み出ることを、祭司が立ち合うことで見えるようにするのです。

逃れの町もそうなのです。
過失なので、加害者を赦すように導いても、なかなか実現しないでしょう。
しかし、主が定めた逃れの町の中に、悪意を持って手を伸すことはできません。

見えることは、時に見えない神様に従うことを助ける手立てになるのです。
祭司は、何も持っていませんし、特別な力がある訳ではありませんが、主の前に進み出るのだということを、祭司を前にして明らかにできるのです。
私たちは弱く、信仰も途上の者ですから、このような助けが益になるのです。

しかし、大切なのはやはり、主の前に立って、正しいことを愛をもっておこなうことです。
それは疑う余地はありません。

シャローム