「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」」列王記 第1 6章13節 (2017新改訳)
ソロモンの神殿建築の様子が細かく記されます。
最高の石材が切り出されて使われます。それも石切り場で完全に仕上げられ手、建徳現場ではノミなど鉄の道具を当てる音がしなかったと言う。
完璧な資材と工事がなされていたことを示します。
杉材がふんだんに使われます。
内殿に置かれたケルビムや床にまで金が張られて覆われます。
37節に「第四年のジブの月に神殿の礎を据え」とあります。そこから最高の神殿が七年をかけて完成したのです。
そしてその後、イスラエルの民は戦いに敗れ、捕囚の民となります。
やがて主の赦しと回復を得て、神殿の再建に取り組むのです。
エズラ記3章9節には、再建する神殿の礎がおかれた時に、先のソロモンの神殿の豪華さを見て知っていた老人は、余りのもみすぼらしい神殿の礎に泣いたとあります。
しかしその時主は、泣いてはならない、今日は喜ぶ日だと教えます。
ソロモンの神殿が豪華絢爛、立派な神殿であるから、主は、そこを住いとして、イスラエルを祝福するのではありません。
主は、あわれみ深く情け深い方です。
主を愛し、主のみことばに従う者たちがいることを喜ばれるのです。
ソロモンの信仰が、この時、曇りがなく主に向かって真っ直ぐであったので、主は、喜ばれて祝福してくださったのです。
エズラ記でも、イスラエルの民の信仰が回復し、主に従う姿勢が整っていった中で、神殿が再建されたので、主は、喜ばれ、民にも喜べと命じたのです。
主は私の心を見られる。
全能の主は、豪華な神殿ではなく、砕かれた心とたましいで主を愛し、主に従う信仰者が、礼拝ごとに集ううことを喜んでくださる。
私たちの主を愛する心が真の神殿の資材となります。
主は、そんな私たちを見捨てないで、いつも一緒にいてくださる。
シャローム