「そこで私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた。口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。」ヨハネの黙示録 10章10節 (2017新改訳)

エレミヤ書15章16節、エゼキエル書3章3節などに記されて来た、すなわち、預言者が語ってきたことばと同じ表現がここにあります。
口に甘いが、腹には苦い。
主のさばきのことばが、私たちには蜜のように甘く、私を満たしてくれるのです。
旧約聖書の時代、預言者が語る主の愛の言葉は、ことごとく人々に無視されてきました。
預言者は語るに辛く苦く、悲しみを負って語って来たのです。
でも、だからこそ今、わたしのところにまで、救いのことば、イエス様の愛が届けられたのです。

私たちも、甘くて苦い言葉を語る者になるのです。

心が頑なな者に語られて来た、主のことば、福音がここでも示されます。
それは聞き漏らし。、従おうとしない者には実に後になって、腹の中で苦くなりさばきとなって自らの身に現実となっていくのです。
それが終末のときは、そのままに実現して行くのです。預言者だけが、その口に甘く感じるのではなくさばきが徹底的に行われて、信じる者には祝福が甘いけれども信じない者には苦いのです。
私たちは、今この時も主が語ってくださることばを受け取り、右から左へと聞き流すのではなく、受け取り咀嚼し、口で味わい、飲み込み自分のものとするのです。

受け取った時、厳しいと思われた主のさばきのことばは、甘いのです。
そして同時に、腹が満たされ信仰者は祝福で満たされますが、そうではない者には苦く、さばきとなります。
私たちはその苦さを他人事にするのではなく、苦さがあることも知った上で、イエス様の愛、福音を口にし伝えていくのです。
甘さを味わい、苦さがあることも知っている、信仰者が語らなければならないのです。
語ることがまた、私たちの口にある福音の甘さを真の甘さにしてくれるはずです。
シャローム