「第一のわざわいは過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。」ヨハネの黙示録 9章12節 (2017新改訳)
第五の御使いのラッパが吹かれて、わざわいが訪れます。
主を信じない者は、苦しめられるのです。それは酷い苦しみです。
そのわざわいが過ぎ去ったかと、思えば、次のわざわいが来ると、主は示されます。
見よ。と、わざわいが確かに来ることが示されます。
しかし、確かに来ることが分かったとして、備えることなどできないのです。
唯一、このわざわいに備える方法があります。
この書を読んだ人が、素直に、直ちに主イエスを信じて、みことばに従う生活を始めることです。
わざわいに対処するのは正しい選択ではありません。
主が、私たちに与えようとしてくださった恵みを受け取ることが、その方法です。
わざわいを避けるのではなく、わざわいの日に、御使いのラッパの音を、主の勝利の音として、安心と期待を持って聞くことができる人になることです。
主は、忍耐と寛容を持って、待っていてくださるのです。
なおも二つのわざわいが来ることを心配するのではなく、恵みと祝福が完全に届く日が近づいたのだと、喜べる人に変えられるのです。
必ず鳴り響くラッパの音を待ち望める者となって、今日も主のことばを聞き、歩んで行きたい。
シャローム