「あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。」列王記 第1 2章3節 (2017新改訳)
ダビデが死ぬ前に、ソロモンに対して命じている場面です。
5節からは、具体的な部下に対する指示もありますが、大事なことはソロモンに主の前に歩むように厳命していることです。
主への務めを守れと、あります。
安息日の礼拝は当然のこととして、主の前に誠実な姿勢で信仰者として歩むように命じています。
それは礼拝や祈りだけを守れと言う、命令ではありません。
主の道に歩めとも、命じています。
主を礼拝し、主を一番として生きるのです。
同時に、主が与えてくださった使命があります。
それはソロモンとダビデでは、使命も違うのです。
礼拝さえしていれば良いのではありません。
主の与えてくださった使命に、真摯に応答して主に仕える時、それが結局は、ソロモンの祝福の元となるのです。
この後、ソロモンの兄弟のアドニヤが、ソロモンの母バテ・シェバを利用して王位を求めて滅びます。
主を一番に求めることをしないところに、祝福と平安はないことを、この王位の継承の場面は教えます。
ここには「掟と命令と定めとさとし」を守れと命じられています。
何が掟であり、何が命令であって、何が定めとさとしだと言うのでしょう。
律法の第何条が掟であって、別の箇所がさとしだと言うことではないのです。
主のことばを、生活の中で全面的に愛し、守ることを教え命じているのです。
イエス様も、私たちに、神と人を愛するように命じました。
これを守っていれば他はどうでもよいと言うことではなく、これを一番に守ることで主の道をそれずに歩むと言うことです。
そこには、主を愛して、主の与えてくださった使命を大切にすると言うことがあるのです。
それは決して堅苦しいことではなく、真に罪から離れて自由で喜びのある道となります。
その先には栄があり、御国での主イエスとの再会があります。
シャローム