「ところが、彼らは拒んでこれを聞こうともせず、肩を怒らせ、その耳を鈍くして聞き入れなかった。」ゼカリヤ書 7章11節
何故、主のさばきがおこなわれるのか。
それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。
いいえ、聞こうとさせしなかったからです。
それなのに、自分たちは断食をして主に祈ってきたと、申し開きをするのです。
しかし、主は断罪します。その断食は自分たちのため、自分の利益のためだったと指摘します。
これまでも主は散々語りかけてきたのです。
ところが彼らは、家畜が肩を怒らせてくびきを拒み畑を耕すのを拒むように、主のことばを拒んできたのです。
断食して見せて、信仰深い形を整えても、その生き方は、主のことばを拒んでいることが、肩を怒らせている形に表れてしまっているのです。
そしてその耳は鈍くなって聞こうともしません。
主のあわれみを求めるならば日々の生活の中で隣人をあわれみ、主の「あわれみを示せ」とのことばを聞くべきです。
私たちは方を柔らかくし、聞く耳と聞く心を持って、主の声を待ちたいものです。
シャローム