「御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、 いのちの水に導かれる。 また、神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」ヨハネの黙示録 7章17節 (2017新改訳)

終末の最後の日に、神の前に立つことになる人々の姿がここにあります。
この人々は、救い主イエス・キリストを信じた信仰者です。
聖められ、整えられて神の前に立っています。

象徴的にこの人たちは白い衣を着ています。
その白さは、まずイエス様の十字架の死と言う犠牲によって罪が聖められています。
血の赤染まるのではなく、血の赤を水で洗い流した白さではなく、血、すなわち命の犠牲によってきよくされた白です。
血で衣が汚れるのではないのです。神の業は人のおこないとは違うのです。

そして14節にあるようにこの人たちは、信仰生活の中で数々の患難を経験しました。
主を信じて歩むからこそ経験する患難を通して、きよめられ整えられた人なのです。

終末の時、この人たちはイエス様ご自身によって牧されるようになります。
イエス様との親しい交わりが与えられ。
その時、地上での数々の患難のおりに流した涙は拭い取られて慰められます。そしてこの日からはもう二度と涙することはなくなるのです。
彼らにはいのちの泉が与えられていて活き活きと水が湧き上がりますが、涙はなくなるのです。

この約束は確かであり、この日にイエス様とお会いすることを期待して、まだしばらくは地上での患難に立ち向かっていきたいものです。
涙を流すことは無駄にはなりません。流したな意味だの大きさ深さの分だけ、この日にイエス様から声を掛けられ、慰めと癒しをいただくのです。
その日まで地上で私が流す涙が、自分のためだけのものではなく、愛する家族、友人、隣人を助けるものであるようにと祈る朝です。

このことば、」約束は確かです。
「神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」
シャローム

シティリジョイスチャーチ 榊原康成
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