「しかし、ヨアブと軍の高官たちへの王のことばは激しかった。」サムエル記 第2 24章4節 (2017新改訳)
ダビデの手によるイスラエルの人口調査がおこなわれます。
しかしダビデの臣下であるヨアブは、それを止めようとします。
主が、祝福してくださり、イスラエルの人口を増やしてくださるのですから、ダビデが人口を数えたりしないでくださいと、訴えたのです。
何故?ダビデがこの調査をおこなおうとしたのかが、明確には記されません。
しかしこの後、主が怒りを表されて、厳しいさばきがくだること、ダビデ自身が悔い改めていること(10節)から、分かることがあります。
主のためにおこなったのではなく、ダビデ自身の名誉欲などから始まったのでしょう。
ヨアブは、それを察して止めようとしたのだと思います。
そして失敗し、罪を犯し、激しいさばきがあったのです。
選びました4節に罪の芽、罪の根が見られます。
ダビデは、信仰者ではなく、地上の王としてふるまったのです。ですから4節は「ダビデ」と記さず「王」と記しました。
そして何よりも、信頼する高官たちに向かって激しい怒りをぶつけるなど、主を一番とするダビデらしくありません。
何があったのかはここからだけでは分かりません。
しかし怒りという感情、欲望がその始まりにあったのは確かなようです。
そしてそれは罪へと進みました。
激しい主を求める思いが、私の内にあるのか。
激しい怒り、欲望が、私の外に向かってあるのか。
どちらに私の心が満たされるのかで、私の生活が変わってきます。
気をつけて読みたい箇所です。
あのダビデさえ、突然このような罪を犯してしまうのです。
しかし、主は最後にもう一度、心を動かされ、赦しと回復を与えてくださる。
私の罪と足りなさを覚えるたびに、主のあわれみと愛の大きさと深さを覚えます。
主の赦しを記し、あわれみを記して、この書は閉じるのです。
私たちの人生が罪のまま終わることがないと、主が示してくださっているようです。
シャローム