「主に連なる異国の民は言ってはならない。 「主はきっと、私をその民から切り離される」と。 宦官も言ってはならない。 「ああ、私は枯れ木だ」と。」イザヤ書 56章3節

終末の日には、全ての国の全ての人に主の救いと祝福が与えられることを教える56章です。

「主に連なる異国の民」とは、ユダヤ人ではない国の人が、主を信じて改宗した人です。
「宦官」とは、後宮に仕えるために去勢された官吏のことです。この人もユダヤ人ではありません。

異国の民から改宗した人も、様々な面で制限され、ユダヤ人とは差がありました。
宦官は、申命記23章1節では「主の集会に加わってはならない」と、ありました。
異国の民は、切り捨てられると恐れるのです。
宦官は枯れ木だと言う。それは自分は無用なもので捨てられるという意味です。
どちらも主を信じても、ユダヤ人に見捨てられ、救いの恵みから落ちてしまうと思うのです。

しかし、イエスさまが地上に人として生まれてくださり、十字架で贖いの業を完成された時に、全ては一新されました。
主は、ここ56章で、安息日を守り、主を愛する人は全て救われて、主は、世界中からそのような人を集めて祝福すると約束されます。

そして、新約聖書の時代、使徒の働き8章23節から39節には、エチオピア人の宦官が救われていく様子が記されます。
主の約束が実現しているのです。

私たちは旧約の律法では異国に生まれた民です。
私はたちは宦官ではないし、宦官の制度のある時代、国には生まれていません。
しかし、私たちは他の人と比較して価値がない無用なものだと思ってしまうことがあります。
主は、私たちに語りかけ、約束してくださっているのです。

主を愛し、主のことばに従う者は祝福されるのです。
イザヤ56章の約束は、エチオピアの宦官を代表にして、確かに実現している。
主の恵みは私たち全ての人に及んでいるのです。
シャローム