「私たちが労苦し、苦闘しているのは、すべての人々、特に信じる人々の救い主である生ける神に、望みを置いているからです。」 テモテへの手紙 第一 4章10節
教会で奉仕し仕える中で苦労している年の若いテモテをパウロは励まします。
その励ましは、人の慰めの言葉ではありません。
救い主であるイエス・キリストの救いを基礎において、神さまからのことばとして伝えるのです。
年の若いテモテに苦労があるように、パウロにも苦労と苦闘があります。
「苦闘」を「ののしり」と、記す写本もあります。
それは信仰者が、イエス様を信じていることで、この世の日々の生活において戦いがあり、苦悩があるということを示します。
しかし神は、今はまだ神に敵対して者たちでさえ、救いたいと望んでおられます。
ましてや既に悔い改めてイエス様を信じた人を放っておかれることはありません。
しかし、この世の日々で苦労し苦闘するのは、この世界の価値観に喜びを見出して生きるのではなく、イエス様に望みを置き、イエス様に倣って生きようとしているからです。
罪に沈む世界では、真の神に従って生きようとする人には苦労と苦闘が強いられるのです。
それは信仰者が、しっかりとイエス様に従って生きているからこそだとも言えます。
苦労や苦闘、時に悲しみを避ける生き方ではなく、正しい望みを持って生きることが大切だと、教えてくれるのです。
その時、降りかかってくる苦労は、主が、ふさわしい時に、豊かな恵みを注いでくださって苦悩を拭い去ってくださいます。
テモテの格闘を私たちもすべき格闘と受け止めて、倣っていきたいものです。
このことに心を砕き、ひたすらに励むとき、あなたは主に豊かに祝福されていることを味わいます。
シャローム