「ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。」ヘブル人への手紙 12章12節 (2017新改訳)
霊の父、即ち父なる神様の訓練を受けて、神の聖さにあずかるようにと、励むことを教えた後、12節で手と膝と言う言葉が登場しました。
今朝は、この二つを象徴的に受け止めました。
弱った手とは、私が望んでいるわけではないのに、正しいことを行うよりも、罪を行ってしまうことではないでしょうか。
神に倣う良いことをする正しくて強い手ではなく、神の前に弱く滅んでしまう行いをしてしまう弱い手。
衰えた膝とは、真っ直ぐに神の前に立ち続けることができないで、知らない間に道をそれて行ってしまう膝のこと。
しかし真っ直ぐな膝になれば、どのような試練の坂道も、岩場さえも目的地に向かってしっかりと歩ける膝。
主の愛と義の業に倣って、小さなことを忠実に行いながら、手でかき分け。
道をそれないように真っ直ぐに目的地を見て、しっかり立って一歩づつ歩むこと。
その歩み方は、信仰者の証しとなり、隣人をも同じ主イエスに従う道へと誘うことができるのではないでしょうか。
旧約聖書、士師記の時代は「それぞれが自分の目に良いと思えることを行って」いました。
しかしいつの間にか、主の教えと御翼の守りから離れて、弱ったてと曲がってしまった膝で、主を愛する道とは違う道を進んでいました。
そして平安を失い祝福をなくしていました。
私の手は弱っていないか。
私の膝は真っ直ぐか。
みことばに照らして良く吟味して、今日の生活を始めていきたい。
シャローム