「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」コリント人への手紙 第2 1章4節

続けてコリントの第2の手紙を読みます。
コリントの教会の人を愛して、心配をしているパウロの姿を見ることができます。

最初にパウロは、キリスト・イエスの父である神は、あらゆる慰めに満ちている方であることを語ります。
それはただ、神のご性質を示しているのではありません。
パウロが、宣教の働きの中で、信仰生活の中で経験した苦しみを、神様に慰めていただいた経験から語るのです。
その苦しみは、多くの人が経験することがないほどの大変な苦しみであり、そして幾度も経験しています。
そしてその苦しみを、神は慰めてくださったのです。
ですから、パウロは昨日も今日も、そして明日も、神様が必ず慰めてくださると確信しています。
そしてコリントの人に語るのです。

さらに、その慰めは、経験した人から隣人へ、愛する友人へと広がっていくのです。
神様の慰めを経験した人は、人を慰めることができる人に変えられるのです。
それはその人の力ではありません。
神様の慰めを確信している信仰から湧き上がって来て、人へと伝えられるのです。

バルナバと言う人は「慰めの子」と呼ばれました。
苦しみを経験して神様の慰めを受け取ったあなたは、苦しむ人にとって慰めの子なのです。

シャローム