「ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。」ヘブル人への手紙 10章3節 (2017新改訳)
大祭司が一年に一度、大切ないけにえを献げること、日々の祭司によるいけにえの儀式を、真剣におこない、みことばに従おうとする時。
私たちは、自分の罪を自覚するのです。
神に逆らう原罪から始まって、人と人との間での、大小の罪を意識するのです。
いけにえをささげ、みことばを読むほどに、罪を自覚するのです。
時には、罪の自覚が自分を苦しめます。
嘆き悲しむこともあります。
けれども、無自覚で無感動に、罪を意識しないで、罪の中に深く浸かって生きているよりも、罪を自覚したほうが良いのです。
何故なら、今は既に、アロンの子孫による人の大祭司ではなく、真の大祭司、イエス・キリストによって、罪が完全に赦されているからです。
罪を深く自覚するほうが、赦されていることの恵みと喜びを、真に知り、味わって生きることができるからです。
罪を知ること。
神に逆らい、神を攻撃して殺そうとした犯人の共犯である自分を認める時に、赦しの大きさと喜びを知るのですから。
私たちは、既に新しく造り変えられた者です。
恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者になっているのです。
日々の生活でも、小さな一つ一つの罪から離れて、主イエスの愛の中で、みことばに従って生きることを私の望みとして夕に朝に生きていきましょう。
シャローム