「サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山のもう一方の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃れようとした。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来た時、」サムエル記 第1 23章26節 (2017新改訳)

サウルは執拗にダビデを追います。
サウルの息子のヨナタンは、父の目を盗んでダビデと会い、サウルの手がダビデに及ぶことは決してありませんと語って、ダビデを励まし、二人は主の前に契約を結びます。17,18節。
しかしダビデの居場所がサウルに知られて、ダビデはサウルから逃れようとするのです。
どこまでもダビデはサウル王とは戦いません。

サウルの手がダビデに負い迫っている緊迫した状況が、この26節にはあります。
王に追われ、命を狙われているにも関わらず、この頃のダビデには、彼を慕って従う部下がいたのです。
権力によらず、名声によらず、主に従うダビデを慕う勇士たちがいたことは、ダビデの行ないが、主の前に正しいことを証ししています。

私たちも、主の前に正しく歩むことで、どんな困難な状況かでも信頼を得たいものです。

サウルに追われて危機が迫った時、ペリシテ人が責めて来たので、サウルはペリシテ人を迎え撃つために、ダビデを追うことを諦めて、帰っていきます。
主がダビデを守っているのだと、分かる出来事です。
主は、まだサウルをさばいて討つことをされません。
しかしサウルとダビデの間に働きかけて、ダビデを守ってくださるのです。

ダビデを信頼する部下は、主がサウルではなくダビデを愛して守っていてくださることを、ダビデの近くに居て知るのです。
山の一方を行くダビデには主の守りがあり、別の一方を行くサウルには、主の守りがありません。
それはダビデとサウルが、日々、主の前に真摯に歩もうとしているのかどうかが現れているのです。
主の前を行く。
このことを私たちも大切にして週末の一日を過ごしたい。
シャローム