「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」 テモテへの手紙 第一 2章4節

これまで色々と物議を醸す2章であったかと、思います。
「男たちは怒ったり言い争ったりせず」「同じように女たちも、つつましい身なりで、控えめに」「女が教えたり男を支配したりすることも許しません。むしろ、静かにしていなさい」と・・・ここに続く言葉も取り上げられます。

まず、当時の教会にこれらの事について、問題が引き起こされていたと言う事実がありました。
女性たちの中に、キリストに倣うのではなく、皇帝の妻などの地位のある女性たちの着飾った装いを争うように真似ていた人がいたので、忠告を与えたという事がありました。また、そこには偶像礼拝の宮での装い、行動を真似てしまっていたと言う問題もあったようです。
男性は?祈っていなかったのでしょう。祈るより、論争することを好んでいた人がいたのでしょう。
そのような問題を解決したいとの思いから、パウロは厳しいと言いますか、踏み込んだ意見を語りましたが、個人的な好みではないのか、女性への差別だと、批判されることになったようです。
他にもありますが。

大切なのは、パウロが単に倫理道徳、また、生活の様式について忠告をしたのではないと言うことです。

「パウロは、神は唯一であり、神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです」と、続く5節で語ります。
要するにパウロがここで語りたいのは、福音の本質であり、福音を信じた人がどのような信仰生活を生きるかを示したいのです。

パウロは、神が、すべての人が救われるように望んでいるのだと、教えます。
そのためには、パウロは別の箇所ではギリシア人にはギリシア人のようになると、語ります。
弱さに共感します。
しかし、罪人の生活やおこないからは離れます。
むしろ、人々が教会の人々の生き方を真似るようにと願うのです。
キリストに倣う生き方をすべき人が、この世の価値観に倣ってしまってはいけないのです。

福音を知り、神の真理を詩って、それに倣って生きることをパウロは勧めます。
パウロは、ローマ人でああったプリスキラが聖書を教えることを勧め、喜びました。
教会の宣教に仕える女性を敬い、喜びました。
ですから、この2章から引き起こされるパウロに対す批判は、間違っています。

しかし、救い主はただお一人です。
私たちが福音を信じることが神の望みです。
真理を知る、追求しなければいけないのです。
信じた人はキリストに倣うのです。

そんな福音の中心を語る中で、色々と書き記した2章です。
でもまあ・・・私、個人的にはパウロは敢えて問題を引き起こすような書き方をしたのではないかと思うこともあります。ただし、それでも、それを主は良いとされて、聖書のことばとして残されたのです。
シャローム