「見よ。あなたがたはみな、火をともし、 燃えさしを身に帯びている。 あなたがたは自分たちの火の明かりを持ち、 火をつけた
燃えさしを持って歩くがよい。 このことは、わたしの手によって、 あなたがたに起こり、 あなたがたは苦悶の場所で伏し倒れる。」イザヤ書 50章11節

預言者を通して主が語られた時に、彼らは聞きませんでした。
そして、いつまでも好き勝手に歩むのです。
その彼らは、道しるべとなり、光となる偶像を崇めているのです。
そして自分たちが歩く道は、明るく先を照らすことのできる素晴らしいものだと思っています。

けれど、それは大きな間違いなのです。
その光、光と思っているものは、燃えさしなのです。
火がついているように思っていますが、燃えさしです。
道しるべにはなりません。
足元も照らさなければ、将来を指し示すこともできません。
もちろん、罪を指摘して暴くこともありません。

そんなものに頼っている人たちは、苦悶し伏し倒れて、滅びるしかないのです。
主は、救い出してくださると、これまで何度も繰り返して語ってくださったのに、彼らは聞きません。
そして、燃えさしを頼りとするのです。

私たちは、光であるイエスさまを信じて、その後に付いて行きます。
私が、自分で火を灯してもだめなのです。
主が、与えてくださり、導いてくださる光こそが道しるべです。
そこには、苦悶ではなく平安と永遠の祝福が備えられています。
シャローム