「道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」」 使徒の働き 8章36節

ピリポとエチオピアの宦官の出会い、信仰決心、バプテスマを授けると言う場面です。
有名な場面でしょう。女王カンダケの名前やその高官と言う細かな表記と信仰決心までのできごとが活き活きと記されます。
そしてこの箇所は、聖書の「節」で続く37節が抜けています。
異本によれば、37節には、ピリポが「あなたが、心の底から信じていればよいのです」と答え、宦官が「私は、イエス・キリストが神の御子と信じます」という内容を加えます。

水があると言うのは、聖霊の導きがあり、ふさわしい場所と時が備えられていると言うことです。
何か妨げがあるでしょうかとの、問い掛けには、何もないと言うことです。
ピリポは、主の使いによって、宦官の乗る馬車に乗りました。
その時、宦官が読んでいた聖書の箇所をピリポは説き明かして、宦官の決心を促し、彼の信仰を揺るがないものにしてのです。

聖書を読み、主を求める人には、この宦官のように聖霊が働いてくださり、正しい導きと導き手が与えられて、信仰が強められるのです。

私たちは、一人ひとりが様々な形で導かれて教会に来て、聖書のみことばに出会い、主イエスと出会いました。
ふさわしい助けや時がいつもあるのです。
私たちの信仰の歩には、何も妨げなどないのです。
この宦官のように、私が素直に答えて行く限り、私たちは39節にあるように、喜びに満たされるのです。

この一年間も日々の生活の中には困難や悲しみを覚えることはあったかも知れませんが、いつも背後には聖霊の導きと助けがあり、ふさわしい時に必要なものが備えられていました。
満ちを進んで行くうちに私たちはその恵みの水を見つけるのです。

シャローム