「主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。」 列王記 第二 19章16節
アッシリアに攻め込まれて国が滅亡する危機を迎えた時、ヒゼキヤ王は、真の神である主を信じて、主の助けを祈り求めました。
初めに主の御名を心からほめたたえます。
続けて、祈るのは助けを具体的に祈ることばではありません。
御耳を傾けて聞いてください。御目を開いてください。このように祈りました。
それは聞いてはもらえない、見てはもらえないと思っているのではありません。
そうではない、逆なのです。
主は、信じる者の祈りを聞いてくださり、見守り見捨てないと信じているのです。
信じているなら、祈らなくてよいのではないのです。
信じているからこそ、聞いてください、私たちの苦しみを見てくださいと祈ります。
主を侮る人たちの悪を罪を見てください、主を侮ることばを聞き漏らさないでくださいとの思いです。
聞いてくださいとの祈りは、聞いてくださるという確信があればこそ祈ることができます。
いえ、忘れないで「聞いてください」と祈ることが大切なのです。
私の祈りを聞いてくださる主のことを、私が忘れることがないように祈るのです。
聞いてください。見てください。主よ。と祈ります。
願いを祈るのは、その後です。後で良いのです。主は知っていてくださるから。
私が主を信じて、信頼して祈っていくことが大切なのです。
シャローム