「国々の空しい神々の中に、 大雨を降らせる者がいるでしょうか。 それとも、天が夕立を降らせるのでしょうか。 私たちの神、主よ、 それは、あなたではありませんか。 私たちはあなたを待ち望みます。 あなたが、これらをすべてなさるからです。」エレミヤ書 14章22節
14章では、絶望的な状況が語られるのです。
ユダ、エルサレムは打ちしおれて、悲しみの中にいます。
エレミヤは主に祈るのです。
しかし、主は、エレミヤに祈るなと、語ります。
彼らが、主のことばに聞こうとしないからです。
その上で主は、そのイスラエルの民を「この民」と、突き放したように呼ぶのです。10節、11節。
彼らが、空しい神々を慕い、エレミヤ以外の預言者たちが、主の語らなかったことばを民に語ってきたからです。
空しく、絶望的な状況です。
私なら、もう立ち上がることもできないと、思いました。
しかし、エレミヤは祈るのです。
空しい神々を慕い、真の神、主に背を向けて人々が歩むような中なのです。
それでも、主は雨を降らせて大地を潤してくださる。
神、主の他に誰が雨を降らせることができるのでしょうかとの訴えです。
そして申命記に記される通り、天と地を創造された主からの雨が降り陽が照るのは、主の恵みの約束が届いている証拠です。
そうエレミヤは訴えるのです。
雨が降る限り、その背後には主のあわれみがあり、この民と突き放されたように感じてもなお、背後には主の愛とあわれみが隠されているのですと、訴えます。信じているのです。
あなたを待ち望みます。あなたがすべての恵みをくださるから。
そう信じて、どのような時でも祈れるエレミヤの信仰に倣いたい。続きたい。
シャローム