「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛さない者は死のうちにとどまっています。」ヨハネの手紙 第1 3章14節 (2017新改訳)

イエス・キリストを信じた者は、神の子どもと呼ばれます。
呼ばれると言うことは、神の子どもとなっていることです。
神の子どもとは、罪が赦されて、キリストに似た清い人になって行く人のことです。

神の子どもは、世の人々と世の基準からは憎まれます。
何故なら、世は罪と死の基準に従っているからです。
しかし、神の子どもとなった人は、罪から離れて兄弟を愛する人になっています。
キリストを信じたと言いながら、兄弟を憎む人は本物ではありません。
ここ3章では創世記4章に登場するカインを例に上げて指摘します。カインは神にささげ物をしながら、弟のアベルを憎み殺しました。
カインの内には愛がなかったのです。

兄弟と隣人を愛することで失敗をすることはあるでしょう。私たちは欠けだらけの存在ですから、できないことがあります。
しかし憎むことをしません。私がキリストに愛されていることを知ったからです。
私の欠けているところにはキリストが働いてくださいます。
罪と死から抜け出し離れた信仰者は、愛する人となったことで神の子どもとされていることを味わい続けるのです。

罪は死と結びつき。信仰は愛と結びついているのです。
憎まれることは辛いですが、キリストが守り慰めてくださいます。しかし憎むことは死と滅びへ向かい、もっと辛いものを自分に招き入れます。
人を愛することで憎まれたり失敗しても恐れたりしなくてもよいのです。その時キリスト・イエスがともにいてくださるから。
いつでもキリストの内にとどまって愛することを求める人でいたいのです。
シャローム