「預言者ナタンを遣わし、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた。」サムエル記 第2 12章25節 (2017新改訳)

預言者ナタンは、バテ・シェバとの罪に関係して、二度ダビデのところに遣わされます。
一度目は、その罪を指摘するためでした。
大きな罪を犯したダビデでしたが、流石にダビデでした。
直ちにその場で、主の前に罪を認めて悔い改めたのです。一言の言い訳もしなかったのは流石です。

しかし、さばきはありました。
バテ・シェバが産んだ子を、主は打たれました。断食して祈るダビデでしたが、その子はさばきの通りに亡くなったのです。
ダビデは断食を止め、主を礼拝して食事を取り、通常の生活に戻るのです。
部下たちは、ダビデの行動に驚くのですが、ダビデは、命は主の御手の中にあり、主だけがそれを取ることができると知っているのです。
そして主の業に従うのです。

どこまでもあわれみ深い主は、バテ・シェバが次にダビデに生んだ子どもを愛して祝福してくださいました。
二度目にナタンが遣わされます。
今度は罪の指摘ではなく、祝福を注ぐためでした。
その子の名前を、ダビデがつけた名とは別に「エディデヤ」とつけます。
その意味は「主に愛された者」です。ただ一人の愛する子と言う意味です。

主は、ダビデが悔い改めたことを受け取ってくださっています。
そして再び祝福してくださったことを、こうしてナタンを遣わし、名前を与えてくださることで、実際に明らかにしてくださったのです。
主のあわれみと祝福は、私たちの想像を超えて豊かであり、確かなものです。

私たちはさばきを恐れるのではなく、主を畏れ、悔い改めを愛することを大切にしたい。
主は祝福してくださるから。
シャローム