「彼は礼をして言った。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは。」」サムエル記 第2 9章8節 (2017新改訳)

ダビデは信仰の友人であり、互いに愛し合った兄弟以上の関係であったヨナタンへの愛と恩義を忘れませんでした。
互いに助け合う中であったことを忘れません。ヨナタンも父サウルに逆らって、ダビデを助けようとしました。
今、ヨナタンが亡くなり、王となったダビデはヨナタンの息子のメフィボシェテに対して恵みを与えます。
亡くなったサウルの土地や所有物をすべて彼に返したのです。
普通は考えられません。
先の王の親族ならば、全員を殺害しても不思議ではないのです。
しかし、ダビデは主の前に正しいことをします。
ヨナタンとの約束を破りません。
復讐の刃を向けるのではなく、恵みと祝福の手を伸すのです。
これがダビデの信仰者としての素晴らしいところです。

恵みを受けたメフィボシェテは、足が萎えていました。通常ならばこの時代に王の食卓に着くことも許されません。
それが多くの恵みを受けたのです。
そして彼は恐れながら「あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは」と、語ります。

かつてダビデは嫉妬や嫉みから自分を襲うサウル王に対して、自分のことを「死んだ犬、一匹の蚤」と表現して、そんな小さな取るに足りない者を、どうして追うのですかと、サウルに問いかけました。
今、ヨナタンの息子は、まったく別の視点で、ダビデに対して、このように語りました。
しかし、ダビデはメフィボシェテを、そのようには考えていません。
大切なヨナタンと同じように大切な存在と考えて、恵みで答えるのです。

私たちも、隣人をどのように見て接するのか、恵みで答えるのかが、イエス様に問われると、思いました。

自分の手を開いて恵みを与えるのか。
自分の手で剣を握って振るのか。
また、私の心はどのように開き、何に対して握り閉じるのだろうかと考えた朝です。
シャローム