「ともに集まれ、集まれ。恥知らずの国民よ。」ゼパニヤ書 2章1節

エルサレムへのさばき、それも厳しいさばきが語られた後で、次はそのエルサレムを嘲笑い、自分たちは安全だと高ぶる諸国へのさばきが語られます。
そしてそのさばきも実現していきます。

義の方である主が罪を暴き、それをさばきます。
エルサレムもペリシテ人もモアブも、諸国のすべての国が主なる神さまの全権の下にあるのです。
罪を重ねる者は、主のさばきのことばを聞き、そこから逃れることはできないのです。

しかし、完全な義の方であり罪を見逃すことができない神さまは、完全な愛とあわれみの神さまでもあります。
さばきを告げて、それを実践される前に、この方はもう一つのことばを語られます。

「ともに集まれ、集まれ」
これはただ集合しろと、呼びかけているのではありません。
悔い改めへの招きです。
神さまの前に進み出て、悔い改めることを促しているのです。
呼んでいるのです。
最後の最後まで、主はあわれみ深く、忍耐を持って罪人を招かれるのです。
滅ぼすより、赦しを与えることを望んでおられるのです。

この方を前にして、私たちはどのように歩みましょう。
何をこの方に申し上げ、祈りましょう。

礼拝の日、日曜日です。賛美と感謝の祈りを献げ、主のことばを待ちます。

シャローム