「彼らは、神を知っていると公言しますが、行ないでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。」 テトスへの手紙 1章16節

今朝は、テトスへの手紙です。
手紙の最初の1章の言葉は、厳しい言葉が続きます。
反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者と、10節では指摘されます。
1章の終わりのここ6節では「忌まわしく、不従順」とされます。
何故ここまで厳しく言われるのでしょう。
それは彼らが、パウロと同じように幼い頃からモーセの律法を知っていたはずの人たち、ユダヤ人同胞の中にいるからです。
律法を知っている、守っていると公言する人たちが、実は何も知らないのです。

公言するとは、教会の中で、そのように語り、自分を立派な人のように見せていたのでしょう。
しかし、その行ないはイエス様のことばに従い、イエス様に倣う生き方ではなかったのです。
イエス様を知らない人ではなく、知っているのならばと、パウロは厳しく問うのです。

パウロは良いわざ、善行を積まなければ点の御国に入れないと言っているのではありません。
イエス様の語ってくださるみことばに不従順で、行ないが伴っていないのです。
神と隣人を愛して、イエス様の福音を伝える証しの生活をしていないのです。

パウロは、この手紙の一番最初に名乗りました。「神のしもべ、イエス・キリストの使徒」だと。
神を知っている人は、このパウロのしもべ、使徒として生きているかどうかをパウロは問いたいのです。
私たちは、私が主人ではなく、主イエスが主人です。
知っている、信じているとは、行ないの日々の中で証しされるのです。
雨で始まりました今日一日を、乾ききった心に神の恵みの雨を受けた一人として、神に愛されている従順な者として歩めるように祈ります。
シャローム