「彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。」コリント人への手紙 第2 8章2節
マケドニアの教会は、誕生して間もない教会でした。そして、困難も経験しており、決して豊かとは言えない教会の状況がありました。
いえ、パウロの言葉は、非常に貧しい中にあったことを教えます。
しかし、その教会がコリントの教会や困窮している教会を献金によって援助する教会となっていたのです。
パウロはここで「満ちあふれる喜び」と「極度の貧しさ」を並べて、二つを経験している教会なのだと教えます。
以前は貧しかったが、今は豊かになったのではありません。
今も、極度の貧しさを経験しているのです。
しかし、彼らは同時に、その中で、留めることのできない満ちあふれる喜びの中を歩んでいます。
そして、他の教会を援助し、支えたいと願って、献金を送っているのです。
惜しみなく献げた献金は、あふれ出る愛となって他の教会に届いています。
満ちあふれる喜びは、外に向かってあふれ出る愛となって、具体的に届きました。
そして、その愛は届いた先でもあふれ出る愛となって広がったのです。
苦しい試練、貧しさ、困難の中を経験していても、主イエスを愛する人の中には、喜びは満ちあふれていき、そして、外に向かってあふれ出る愛の行動となっていくのです。
余裕があるから、愛の行動が取れるのではありません。
貧しくても困難であっても、主イエスの愛に溢れて喜びに満たされていくことができるのが、主イエスを信じる人の毎日です。
その喜びは富です。誰にも奪われることのない宝です。
あなたも持っています。
シャローム