しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。」ペテロの手紙 第1 4章16節 (2017新改訳)

直前の節には、悪を行って苦しむことがないようにとの警告があります。
悪を行い、利益や楽しみを味わえたとしても、その後には苦しみがやって来るのです。
身体や心は騙せたとしても、たましいまでも騙すことはできないからです。
悪を行えば、必ず自分自身のたましいを傷つけ痛めつけて、その後、神のさばきを受けることになるのです。
そのような苦しみは避けなければなりません。

しかしキリスト・イエスを信じて従う生き方をする時にも、苦しみはあります。
しかしその苦しみは、恥じるようものではありません。
イエス様も同じような苦しみを地上で経験してくださったのです。
そして私たちがイエス様の名のゆえに苦しみを経験する時には、イエス様も共にいてくださるのです。
そしてかの日には、イエス様が慰めてくださり、栄光の冠を与えてくださるのです。

ですから恵みと喜びの日には、神を賛美し。
苦しみの日には、神をあがめるのです。イエス様と同じ道歩める者とされているのだと覚えて、ただ神をあがめるのです。
この世の苦しみに会っているのならば、その人の信仰が確かに本物の信仰だということです。
だから、どんな時でも神をあがめます。

礼拝の日です。主に招かれていることを喜び、礼拝の民として御前に進み出て行きましょう。
シャローム