「ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」サムエル記 第2 6章14節 (2017新改訳)

神の箱に関する記述がここ6章です。
サムエル記の第1、5章1節で、ペリシテ人の手によって奪われた神の箱でした。
その後、災いを恐れたペリシテ人が、神の箱を返してきますが、箱は本来のあるべき場所には戻されていないまま、20年以上が過ぎていたのです。
ダビデは王となりペリシテ人の襲撃も退けました。
そしてこれまで他の町に置かれたままになっていた神の箱を移すことを計画したのです。

しかし一度目は失敗しました。
途中で、箱を運んでいた箱が落ちそうになり、それをウザが手を伸ばした触れたため、主の怒りが発せられて、彼は死にます。
8節には、神の怒りが「破裂した」と、激しい神の怒りが降ったことを記すのです。
それは箱を運ぶのには、祭司だけが、ふさわしい方法でしなければならないことを守らなかったためです。

恐れつつも、ダビデは二度目にはふさわしく運びます。そして町に神の箱を迎えたのです。
その時、ダビデは喜び踊ります。神を賛美したのです。
しかし一方で、サウルの娘でありダビデの妻になっていたミカルは、ダビデが民の前で裸となり恥ずかしいと、批判します。

主は、ダビデを祝福し、ミカルをさばかれます。

ダビデは裸で踊ったのではありませんでした。それはミカルの偏見とでも言うものです。
ダビデは、王服を脱ぎ、祭司がまとうエポデだけをまといました。
王の権威を示す王服を脱ぎ、神の前に誠実に仕える祭司の装束を着て、主を賛美したのです。

神の箱を町に戻すことができた王の功績を誇るのではなく。
奪われたままであった箱を、戻すことが許されたと、神を賛美したのです。
ただ、謙遜に神だけを賛美したのです。
力の限り賛美したのです。

それに対して、ミカルにはサウル王の娘としての誇りが強かったのかも知れません。
窓から見下ろして、夫であり王であるダビデを蔑んだのです。16節。
初めから、道に出てダビデではなく、神の箱を喜び迎えるべきでした。

主を中心にして、主の前にどう歩むべきかができたダビデです。
自分の誇りを一番にして、自分を中心にして行動したミカルとの違いが表れた箇所です。

私たちは、余分なものは脱ぎ捨て、後ろにして、力の限り主を賛美する時を大切にしたいものです。
力の限り主を賛美することを心に刻んでおきたいと思う朝です。
踊るのか、歌うのか、それとも別の方法かは、あなたの心次第です。
シャローム