「神のみこころだであるなら、悪を行って苦しみをけるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。」ペテロの手紙 第1 3章17節 (2017新改訳)

キリスト・イエスを信じて生きる時には、そのために苦しめられることがあると、聖書は語ります。
神に従い義を行おうとする時に、この世の多くの人が行うこととは違うことをすることになる、そんなこともあるのです。
迫害まではいかなくても、批判をされたりすることもあるのです。
その結果、心が痛んだり、弱ってしまうこともあるのです。しかし、それで信仰者を滅ぼすことやたましいを傷つけることはできません。

ここでは、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがと、二つのことを並べています。
これは比較しているのではありません。
信じた人が、悪を行うと言うことを言っているのではありません。
信じた人が、善を行って苦しめられることがあることを、強調するために、この表現を並べているのです。
神のみこころに従おうとする時には、苦しめられるのです。

20節では、ノアのことを例にあげています。
ノアは、神に召されて、ただ一人で、洪水が起きる前兆もない時に、箱船を造りました。
かなりの長い期間を、神を信じたノアだけが、善を行い続けたのです。箱船を造ると言う具体的な行動をしたのです。
その時、その時代、その地域、交流のあった人のすべてが、彼をあざ笑い、彼の行いを否定し、彼を苦しめたのです。
しかし、その苦しみの期間を過ごしたノアは滅びではなく祝福を受け取りました。

悪を行うのではなく、善を行うからこそ、苦しめられることがあり、それは時に、孤独でとても苦しいのです。
でも、みこころに従うほうが、平安であり、必ず祝福へと繋がっているのです。
神の御心を探り、みこころに従いたいと歩むことができる幸いを味わいたい。
ノアの心と行動に倣っていきたいものです。
シャローム