「わたしはこの都を守って、これを救う。 わたしのために、 わたしのしもべダビデのために。」」イザヤ書 37章35節
アッシリアの王センナケリブは、エルサレムを攻め、これを滅ぼそうとします。
その時、センナケリブは、これまで滅ぼしてきた国の神々がその国の人々を救い出せなかったようにイスラエルの神もエルサレムとそこに住む人たちを救い出すことはできないと、嘲ったのです。12節。
このように神、主を嘲るセンナケリブ王の言葉を聞いて、ヒゼキヤ王は、主に祈ります。
主だけが真の神であり、センナケリブ王が、これまで火に投げ込み、燃やしたのは偽物の神々、偶像に過ぎなかったからに過ぎないことを祈ります。
そして主にエルサレムと人々を暴虐の王センナケリブ空、救い出してくださいと、切に祈るのです。
真の神、主は、祈りに答えてくださる方です。
しかもこの時は、主は「守り、救う」と、明確なことばを与えてくださいます。
「わたしのために」とは、主こそが神であることを人々が知ることになるという意味です。
また「だびでのために」とは、主が、とこしえにダビデの王国を建てると、約束してくださった通りに、エルサレムを守り、救い出すと言う意味です。
主は、私たちに恵みの約束を与えてくださいます。
そして、その約束を永遠に変えることなく守ってくださるのです。
また、その約束を実現することができる力を持っておられるのです。
さらに、こうして愛する人々が、苦しみの中から祈り叫ぶ時、必ず答えてくださいます。
神、主を嘲るものは、どれだけ力を誇っても、その終わりは虚しく、滅びに向うものです。
しかし、主を信じる人は、苦しみ、困難にあっても倒れたままで終わることはありません。
必ず、脱出の道が備えられており、主が守り導いてくださるのです。
シャローム