「主に雨を求めよ、後の雨の時に。 主は稲光を造り、大雨を人々に、 野の草をすべての人に下さる。」ゼカリヤ書 10章1節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。

今日開いたのは、ゼカリヤ書です。

ゼカリヤは、神殿再建の工事が始まって二か月後から、預言者として活動を始めたことが1章1節、7章1節から分かります。
この活動時期は、ハガイと重なっています。
ゼカリヤの預言のことばには多くの幻が登場します。そのため、エゼキエル、ダニエルとともに「幻を見る預言者」と、呼ばれます。
そして、9章9節などに見られる通り、メシヤの来臨について幾つものことばで記されているのが特徴です。

今朝、選びましたのは、後の雨について預言する言葉です。
イスラエルにおいて、後の雨とは、春の雨のことであり、この雨が降るかどうかによって収穫が変わってくるのです。
即ち、後の雨を主に求めるとは、主に収穫の豊かな実りを期待することです。
そしてそれは捕囚と言う苦しい期間をどれほど過ごすことになったとしても、やがて主が愛する民、愛する人々を回復して祝福してくださることを、信じて期待することです。

11章11節から後には「その日」と言う表現が繰り返し登場します。
主が、回復し祝福してくださるというその日が必ず来ることを示すのです。
いつか、もしかしたら訪れるかも知れない救われるかも知れないと言う、曖昧なことではなく。
その日、と言う確実な時が、主によって定められているのです。その日を期待するのです。
期待せよと、後の雨を期待して待てと、主は、私たちに教えます。
信仰生活には、忍耐と期待の両方が必要なのです。

主は、天と地を造り、お一人で造り。
雨を降らせ、稲光を造ることができる方。
私を潤す後の雨を降らしてくだる方なのです。

捕囚の苦しい期間は、悔い改めの時。
神殿再建に労する時は、忍耐の時。
新しい神殿で礼拝する時は、期待して待つ時。
今は、期待して良い時です。
シャローム