「こうして人は言う。 「まことに 正しい人には報いがある。 まことに さばく神が地におられる。」」詩篇 58篇11節

神の公義を歌う詩篇です。
力ある者たち、すなわち、地位の高い者たちが不正をおこない信仰者を苦しめる状況が、この詩篇の背景にはあります。
不正をおこなう者たちに、正しい義をおこなっているのかと、詩人は挑みます。
真実を覆い隠し、正しく見ることも聞くこともしない者たちがいます。
その者たちは、神のさばきなど、遠くにある話だと思っています。自分たちには関係がない、自分たちに神のさばきなど届かないと思っています。

しかし、6〜9節で、比喩的な表現を用いながら、神のさばきは近く、確実にあることを詩人は歌います。
詩人は苦しめられても、神のさばきが近いことを知っているので、忍耐できるのです。

この11節は、詩の最後のことばです。神への信仰の告白です。
10節では、厳しい言葉が並びますので。詩人が悪をおこなうものが滅びることを喜んでいるように聞こえます。
しかし、詩人が訴えるのは、個人の復讐が実現することを喜んでいるのではなく、神の公義が必ずなされることです。
「まことに まことに」と、2度繰り返すところに詩人の強い信仰が現れています。

神のさばきは必ずあり、私たちの生活の近いところにあるのです。
神は公平な方であり、その義も揺るぐことがありません。
その神の義を前に意識して生きるのか、自分の思いのまま生きるのか。
正しい人への報いもまた、私が思い描く報いを超えて神の豊かな恵みとして届くのです。
シャローム